声明・意見書

合理的基準を示すことなくなされた裁判官弾劾裁判所による裁判官罷免判決に抗議する会長声明

  1.  裁判官弾劾裁判所は、2024年4月3日、岡口基一裁判官を罷免する判決を言い渡した。これにより岡口基一氏は裁判官の地位のみならず法曹資格までも失うことになった。
     岡口氏は、インターネット上で自身が関与しない判決に対する私見を発信したところ、①強盗殺人、強盗強姦未遂事件(以下「刑事事件」という。)に関する投稿(被害者について言及したもの)に対して所属した高等裁判所長官から厳重注意処分を受けた後、②飼い犬の所有権を巡る民事訴訟事件(以下「民事事件」という。)に関する投稿に対して最高裁判所から2018年10月に分限裁判による戒告処分、さらに③ ①の厳重注意処分後に行った遺族や最高裁判所、所属庁への批判的投稿に対して最高裁判所から2020年8月に二度目の戒告処分をそれぞれ受けていた。
     今回の判決では、訴追事由とされた①乃至③に関する13件の投稿のうち、民事事件の投稿と最高裁判所や所属庁への批判的投稿を除く、刑事事件被害者遺族に関する7件の投稿について、被害者遺族を積極的に傷つける意図をもって投稿したわけではないと評価しつつ、執拗かつ反復してその心情を傷つけ、結果として被害者遺族の個人の尊厳や名誉感情を侵害したこと等を理由として罷免判決が下された。
  2.  裁判所内部での規律保持を目的とする分限裁判による処分を超えて、裁判官の罷免を可とし、その身分を失わせるためには、裁判官弾劾法2条に規定する「職務上の義務に著しく違反し、または職務を甚だしく怠ったとき」(1号)、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」(2号)に該当するものに限られる。これは、憲法が「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定め(憲法76条3項)、人権保障の最後の砦である裁判官の独立を憲法上の制度として保障し、さらに例外的に裁判官の身分を失わせることが許されるのは、国会に設置された弾劾裁判所による罷免の判決のみであると定めることにより(憲法78条)、立法府、行政府の干渉から裁判官の独立を守るために他の公務員に見られない強度の身分保障を制度として求めていることに基づく。この様な憲法の要請を踏まえると、弾劾裁判所が罷免の判決を宣告しようとする場合には、訴追を受けた裁判官の言動に裁判官の身分保障を奪うことが正当化される程の重大性があるのか、すなわち当該裁判官が真に職務上の義務に著しく違反等したか、裁判官としての威信を著しく失うべき非行に該当することが必要であり、その該当性判断は抑制的なものでなければならない。
  3.  もとより、岡口氏の投稿等自体は、被害者遺族の心情を傷つける不適切なものと言わざるを得ず、最高裁判所の分限裁判で戒告の処分がなされたことには相応の理由があったと言える。しかし、最高裁判所は、罷免事由があると考えれば法律上しなければならない(裁判官弾劾法15条3項)はずの岡口氏に対する弾劾裁判所への訴追請求までは行っていない。このことは、最高裁判所も岡口氏の行為が罷免事由に該当するとは考えていなかったことを示す。それにもかかわらず弾劾裁判所が、本判決において、罷免を可とする結論を出すにあたっては、岡口氏の投稿等が、最高裁判所による戒告の処分を超えて、罷免に値すると判断するための客観的かつ明確な基準を示すことが求められる。
     ところが、本判決は、「『司法に対する国民の信頼』を害したかどうかの認定は、その時々の弾劾裁判所を構成する裁判員の良識に依存する」、「時の弾劾裁判所の裁量に属する項目であって、通常の要証事実のような立証責任は問題にならない」と述べ、弾劾裁判所が罷免を可とする場合の判断基準を全く示さないに等しい。
     しかし、これでは時の政治権力による恣意的な解釈が可能となる余地を残し、予見困難なものにもなりかねず、裁判官の独立を保障するため、例外的に罷免権限を与えた弾劾裁判制度の趣旨にすら反するもので、憲法が定める裁判官の独立(憲法76条3項)に影響を及ぼすことも避けられない。
  4.  また、弾劾裁判によってこれまで罷免を可とされた事案は、収賄(裁判官弾劾法2条1号に該当)、官職の詐称により政治的混乱を企図した(裁判官弾劾法2条各号に該当)、私生活で児童買春、ストーカー行為、盗撮等の犯罪行為が行われた事案(裁判官弾劾法2条2号に該当)に限られ、いずれも裁判官としての威信を失墜させ、司法に対する国民の信頼を根底から揺るがすことが明らかな事案である。
     他方、弾劾裁判所は、岡口氏の投稿等は、これまで罷免を可とされた事案との比較自体が困難として、判断基準を示さないことを正当化している。
     しかし、罷免という処分が極めて重大な不利益を裁判官に与えるものであることからすれば、比例原則の観点から過去の事例との比較を丁寧に行うべきであり、これを示さずに結論を導くことは許されない。それにもかかわらず、本判決では、過去に例を見ない事案であるから、過去の弾劾裁判例や訴追猶予事案を比較の対象とすることはできないと述べるのみで、その理由については何ら説得的な説明はなされていない。これでは恣意的判断であるとの疑念を払拭できない。
  5.  上記の本判決の判断枠組みは、裁判官の市民的表現の自由の保障(憲法21条1項)という観点からも問題がある。弾劾裁判所の裁量によって罷免されるということになれば、裁判官弾劾裁判所の権限行使に予測可能性さえなく、他の裁判官の意見発信を萎縮させることになる。日本の裁判官は自ら意見を発信することが極めて少なく、司法制度改革の始まりと裁判官ネットワークの結成(1999年9月18日)により裁判官による発信が活発になると期待された時期があったものの、積極的に自身の意見を発信する裁判官が増えていくこともなく、現在ではその例は少ない。弾劾裁判所の罷免を可とする判断が裁量で良いとするのは裁判官の市民的表現の自由の保障の観点からも大きな問題がある。
  6.  当会は、これまで「岡口基一裁判官について罷免しないことを求める会長声明」(2021年10月28日)、「裁判官訴追委員会に対して適正な判断を求める会長声明」(2019年11月6日)を発出し、岡口氏を罷免することの問題を指摘してきたが、今般、裁判官弾劾裁判所が合理的な基準を示すこともなく罷免判決を下したことに対して抗議するものである。
  7.  2024(令和6)年11月22日
                           札幌弁護士会 
                           会長 松田 竜 

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