声明・意見書

治安維持法公布から100年を迎えた今、あらためて憲法の基本原理である国民主権・民主主義、基本的人権の堅持・尊重を求める会長声明

 2025年は、治安維持法公布から100年目の節目の年であった。
 治安維持法は、当初、「国体の変革」又は「私有財産制度の否認」を目的とする結社・言論を取り締まることを主眼としていた。
 同法制定過程の帝国議会では労働運動は対象とは考えていない旨の答弁がなされていた。それにもかかわらず、その後の改正と運用の過程において、同法は国家による思想統制と弾圧の中核的手段へと変質していった。1928年の改正では、刑罰の最高刑が死刑に引き上げられ、「国体の変革」等を目的に掲げる共産主義者に限らず、政府の方針に異を唱えるあらゆる思想・信条が「国体の変革」に該当するとの理由のもとに処罰対象とされるようになった。1930年代以降の戦時体制下になると、宗教団体、労働運動、学生運動、報道機関、学術研究者など、広範な市民社会の構成員が「思想犯」として摘発され、それらの者に対する拷問や長期拘禁、転向強要といった深刻な人権侵害が横行した。
治安維持法は反体制思想を取り締まる法律であり、それ自体が思想良心の自由を保障するという観点から問題があるが、同法の特徴は、罪となる行為の線引きのための構成要件を極めて曖昧にしていることであり、「思想」や「信条」といった内心の自由にまで国家が恣意的に介入し得る構造を持っていたことである。
 そのため、実際の運用でも、警察・検察・特高警察などの行政権力に極めて広範な裁量が与えられており、司法による抑制がほとんど機能しない状況を生み出した。これにより、法の名のもとに前述のような人権侵害が広く、深く常態化し、国民の間に表現行為全般に対する深刻な萎縮効果と恐怖をもたらした。
 北海道内でも戦前・戦時期に治安維持法を根拠にした弾圧が複数発生し、代表的な事例として「生活図画事件」や「北海道綴方教育連盟事件」が挙げられる。教師・学生・文化人が逮捕・起訴され、拷問や長期拘禁など深刻な人権侵害が発生した。

 

 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、この法律を「民主主義に反するもの」として即時廃止を命じた。
 あわせて、それゆえに、1947年5月3日施行の日本国憲法は、近代立憲主義の根幹である「思想・良心の自由」(憲法19条)や「表現の自由」(憲法21条)等の人権を手厚く保障するものとなった。
 しかし、日本政府はその後も、治安維持法による違法な弾圧について、「今日の事態から考えると、その治安維持法というものが好ましい法律であったのでないことは明らか」であるとの見解を示しつつも、被害者への謝罪・補償を行わないなど、同法に基づく人権侵害に関して明確な責任を認めていない。これでは、過去の過ちに対する歴史的総括がなされないままであり、今後も同様の思想統制的立法に基づく人権侵害が繰り返される危険がある。

 

 このような中、近年、我が国では、治安維持法と同質の危険を内包する法律が相次いで立法化されている。
 特定秘密保護法(2014年施行)は、行政が「秘密」と判断した情報へのアクセスを処罰する制度であり、秘密指定を行政が一方的に決められる点が最大の問題である。治安維持法が「国体変革の意思」を広く定義して思想を処罰したように、本法も「秘密」の範囲を恣意的に拡大しうる。結果として、報道の自由や知る権利が萎縮し、国家の不正が不可視化される危険がある。
 共謀罪(テロ等準備罪)(2017年施行)は、実行行為がなくても「合意」や「準備行為」といった曖昧な概念で処罰を可能にする。内心や会話段階を捜査対象とする点で治安維持法の思想弾圧と近く、市民運動や労働運動が「共謀」とみなされるリスクがある。社会には自己検閲が広がり、「話し合う」「集まる」こと自体が萎縮しかねない。
 重要土地等調査法(2022年施行)は、基地や原発周辺の土地利用を理由に住民の生活や活動を調査できる制度である。調査の必要性判断は行政に委ねられ、対象地域に住むだけで監視されうる。治安維持法が特定の思想を持つ者を監視したのに対し、本法は「特定地域の住民」を対象とする点でその監視対象は異なるものの、そのような監視が常態化すれば、市民の表現活動に対する萎縮効果を生み、民主主義の基盤が侵食される。

 

 また、近時発生した大川原化工機事件では、法律上何ら違法性のない外国との取引が、生物兵器の作成に関わるものとして、捜査機関により会社関係者が逮捕・起訴され、幾度にもわたる保釈請求が一度も許可されないまま会社相談役が死亡するという事態が生じた。この事件は、国家が「安全保障」や「危険性」を理由に権限を拡大し、国民の権利を侵害する構図が現代においても容易に再現されうることを示している。

 

 このような事態が生じている中、2025年9月20日、自由民主党と日本維新の会は、「インテリジェンス・スパイ防止関連法制について、25年度に検討を開始し、速やかに法案を成立させる」ことに合意した。遡れば、1985年、当時の単独与党であった自由民主党が議員立法として国会に提出した「国家機密に係るスパイ行為の防止等に関する法律」、いわゆる「スパイ防止法」と呼ばれる法案が存在した。この法案は、結果として廃案となったものの、行政権力の恣意的運用によって国民の人権が侵害される危険性をはらんだ法案であった。仮に、今般制定されようとしている「インテリジェンス・スパイ防止関連法制」が、当時廃案となったスパイ防止法のように、スパイ防止の名のもとに行政権に広範な権限を認める内容を含むものとなれば、再び治安維持法と同様の人権侵害の危険が生じうることとなる。
 治安維持法は、国家の秩序維持を名目に、国民の思想・表現・結社の自由を徹底的に抑圧した立法である。その本質は、国家が「危険」とみなす概念を恣意的に定義し、国民の内心や日常生活にまで介入する構造にあった。今後、前述した各法律が恣意的に運用された上、新たに「スパイ防止法」が制定されて、捜査機関の独断により捜査等が行われることを許すことになれば、治安維持法下で起きた弾圧と同様の人権侵害が再び引き起こされかねない。そのような事態は、日本国憲法が明確に否定したものである。

 

 治安維持法公布から100年を迎えた今、当会は、憲法の基本原理である国民主権・民主主義、基本的人権の意義を再確認するとともに、同法下で生じた深刻な人権侵害を二度と繰り返さない社会を目指すことを強く誓う。そしてこれからも、立憲主義の理念の下、憲法の基本原理を実現するための取組を市民とともに進めていく決意を表明する。

 

 以上

 2026(令和8)年1月30日
札幌弁護士会
会長  岸 田 洋 輔

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