交通事故ストーリー その3

思わぬ事故で、夢だった独立を断念…納得のいく示談金を!

私は、45歳で20年間務めてきた会社を退職し、有名そば店で1年間の修業を経てそば屋を開業したいわゆる脱サラです。
そば打ちには10年前ころから興味があり、会社を退職していつかはそば屋を開業したいと夢見ていました。
そば屋の開業資金は、妻とコツコツ貯めてきたものでしたが、人を雇うほどの余力はないので妻と二人で店を開くことにしました。

開店から1週間ほどしか経過しないころ、私は出前の途中で事故に遭いました。
交差点で青信号で発進した私の車に対し、対向車線で右折待ちをしていた車が突然発進したのです。
私は、事故により、右足と腰骨を複雑骨折し、入院を余儀なくされました。
入院中は、苦しいリハビリにも耐えました。しかし、私の頭の中にあるのは、開店した店のことばかりでした。

妻の話によると、私が事故にあった日は妻がひとりで何とか店を切り盛りしていましたが、妻はそば打ちに関しては素人ですし、私は入院していたのでそばを打つことができません。
事故の翌日から、やむを得ず、私が退院するまで店を閉めることになりました。
ところが、予想以上に私の入院が長引き、また、腰骨を骨折したせいでこれからリハビリで努力をしても長時間立っていることができないと医師から診断されました。

妻と話し合った結果、今後の見通しが立たないので、そば店は閉めることにしました。

1年が経過したころ、治療が終了しました。
治療中、口には出さないものの、早く治療を終えて欲しいといわんばかりの保険会社担当者と口論になったこともあり、相手の任意保険会社には何となく不信感がありました。
そこで、私は、交通事故電話相談というのがあると妻から聞き、入院中に公衆電話から今後の手続について弁護士に相談しました。
そうしたところ、私が自分で直接手続を行う被害者請求という手続があると教えられ、後遺障害については、自分で認定手続をとり、後遺障害の認定を受け、間もなく、自賠責保険会社から後遺障害慰謝料も受け取ることができました。

電話で相談した弁護士の説明によれば、自賠責保険会社から受け取る後遺障害慰謝料は、示談金の一部分に過ぎないのでその後、やはり任意保険会社との交渉は必要だとのことでした。
仕方なく、任意保険会社に後遺障害認定の経緯などを説明し、間もなく、示談書が送られて来ました。
示談書には、私が店を休んだ損害分がほとんどと言っていいほど計上されていませんでした。
担当者の説明によれば、店を開店してから1週間そこそこしか経過していないことやお客がほとんど入っていないこと、休業損害は事故前の収入を参考にするところ、事故前の1年間は私が無職で無収入であったことが原因だと言われました。
確かに、開店から1週間しか経過しておらず、固定客がつく前でしたので、店は大赤字でした。
また、開店前の1年間は、修業のため、無収入でした。
しかし、私が事故に遭ったのは私が望んだからではなく、また、事故によって、私は夢だったそば店の経営を断念せざるを得なかったのです。
それなのに、その点についてとても斟酌されているとは思えない金額でした。

納得のいかない私は、以前電話した交通事故相談に再び電話したところ、今度は面談の交通事故相談を進められたため、交通事故に関する資料一式を持参して予約した日に相談に赴きました。
相談した弁護士によれば、開業間もなくであっても、入院している間や働くことができなかった間、休業損害を請求することができることやその場合の基準などについて説明を受けました。

慰謝料も、裁判になればもっと請求できるとのことでしたが、裁判と聞いただけでも長引きそうな印象でしたので、私は、相談した弁護士に依頼して交渉だけで早期解決してもらうことにしました。
もっとも、保険会社との交渉は難航し、これ以上の額で示談を希望するのであれば、裁判をした方がいいと弁護士に言われ、裁判に踏み切りました。昔の裁判と違って、最近の裁判は比較的早く進むようで1年もしないうちに和解で解決しました。 裁判所は、たった1週間で私の夢を断念しなければならないことを理解してくれた様子で、私にも納得できる慰謝料など、相当な和解案が提示されました。

私ひとりでは、到底、裁判など起こそうとは思いませんでしたし、どこかで諦めていたと思います。
でも、私と同じような事案をたくさん抱えている弁護士に依頼し、私にとって最もよい解決方法を一緒に考えてもらえたお陰で裁判という難しそうな手続に踏み切る覚悟もできましたし、安心してお願いすることもできました。
今は、受けとった示談金で病院に通い、何とか、もう一度、夢を実現できるよう妻とリハビリに励んでいます。

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