日本国憲法に自衛隊を明記する憲法改正案に関する会長声明
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現在、憲法改正をめぐる衆参両院の憲法審査会で、自衛隊を憲法に明記する案が有力な案として議論されている。
政府与党である自由民主党は、2018年3月、憲法改正について優先的に検討する項目として4項目を挙げ、「条文イメージ(たたき台素案)」を発表した。このうち、憲法第9条については、第1項及び第2項をそのまま残した上で、第9条の2として次の条文を加え、自衛隊を日本国憲法に明記するとされている(以下、「本自衛隊明記案」という。)。① 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
② 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
その後の2022年通常国会において、これまでにない頻度で憲法審査会が開催され、出席した委員からは、繰り返し憲法第9条あるいは自衛隊に関する発言がなされた。
同年5月には、日本維新の会も、憲法第9条の2を新設し、自衛隊を明記する見解を発表した。さらに、通常国会閉会後に行われた参議院議員選挙後の同年7月11日、岸田首相は、憲法改正について、いわゆる改憲4項目を念頭に、「できる限り早く発議に至る取り組みを進める」と発言した上、同年11月1日にも「党是である改憲に向け、精力的に取り組む」と述べ、憲法改正に向けて議論を進める意向を示した。
こうした情勢に鑑み、以下では、本自衛隊明記案についての問題点を明らかにする。 -
本自衛隊明記案は、立憲主義の原則から問題がある。
立憲主義とは、憲法が国家権力の行使の範囲を限定し制限することにより、国家権力の濫用による人権侵害を防ごうとするものである。憲法は、国家権力の行使を正当化する授権規範であると同時に、その行使の方法や範囲をコントロ-ルする制限規範である。
本自衛隊明記案は、従来法律上の組織にすぎなかった自衛隊を、憲法上の国家機構として認めるものになっている。自衛隊は、憲法第9条第2項の「陸海空軍その他の戦力」には該当しないというのが従来の政府解釈であるが、その解釈を前提としても、現に存在する自衛隊が外国からの武力攻撃に対応するための実力組織であり、他国の軍事組織と比肩すべき強力な装備・強大な戦闘能力を持つ組織であることは争いのないところであり、このような自衛隊が憲法上の国家機構として位置づけられることの影響は大きい。 -
自由民主党は、本自衛隊明記案について、「9条の下で構築されてきたこれまでの憲法解釈についても全く変えることなく」「等身大の自衛隊をそのまま憲法に位置付けようとするもの」と説明し、従前の解釈等に変更はないという。
しかしながら、以下に述べるとおり、自衛隊が憲法上の組織として位置づけられる以上、憲法の種々の解釈に影響を及ぼす可能性がある。(1)これまで自衛隊は、法律上の存在に過ぎず、上位規範である憲法第9条第2項の「戦力」の解釈によって、組織や任務、保有する武器等が規定されてきた。例えば、政府は、自衛隊が憲法第9条第2項に違反せず合憲であることを根拠付けるにあたって、わが国を防衛するための必要最小限度の実力は第9条第2項が禁止した戦力には当たらないと説明し、それを裏付けるように任務の内容や保有する武器、米軍との関係、予算規模などに制限を加えてきた。ところが、自衛隊が憲法上明記されることにより、自衛隊の存在そのものに憲法上の根拠が与えられるため、合憲性を基礎付けていた論理そのものが不要となる。しかも、本自衛隊明記案では、「前条(9条)の規定は(略)自衛の措置をとることを妨げず」とされており、そうなると、これまで政府見解によって縛りがあった「戦力」の解釈が無限定なものとなりかねない。かかる解釈の変更により、任務の内容や保有する武器、米軍との関係、予算規模等に大きな変化が生じる可能性がある。
また、2015年9月に成立した安保関連法の適用範囲についても、解釈が大きく変わる可能性がある。
従来は、憲法第9条のもと、集団的自衛権の行使は許されないとされてきたが、同法制により、集団的自衛権の行使が一部認められることとなった。これに対し、当会は「安保関連法施行にあたりその適用・運用に反対し、廃止を求める声明」(2016年3月29日)などを発出し、集団的自衛権の行使は一部であっても憲法上認められないと指摘してきた。
しかし、仮にこれが合憲であるとの政府解釈によって立つ場合でも、憲法第9条第2項が存在するため、集団的自衛権の行使が認められるのは、わが国の存立に影響を及ぼす事態(存立危機事態)に限られるとされ、憲法第9条による制約はなお存在する。
ところが、憲法に自衛隊を明記することによって、憲法第9条第2項の解釈が変わり、限定のない集団的自衛権の行使が可能となる可能性がある。(2)本自衛隊明記案は、憲法第9条以外の他の憲法解釈に影響を及ぼす可能性も否定できない。
なぜならば、自衛隊が憲法上の組織になる結果、自衛隊の存在・活動が憲法上の価値と根拠を有することとなれば、それが公益として認められ、基本的人権に対する憲法上の制約原理となり得るからである。
例えば、これまで政府は、徴兵制度は憲法第18条、同第13条に違反するとして違憲という見解であったが、自衛隊が憲法上の組織となることによって、その組織の維持や自衛隊員の確保、国防に対する国民の責任と義務が強調され、徴兵制度あるいはそれに類似した制度も、憲法第18条、同第13条に反しないとの政府見解に変更される可能性を否定することはできない。
また、自衛隊の「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つ」任務は、憲法上の基本的人権の制約原理になり、国民のプライバシー権、知る権利や財産権、報道機関の報道の自由、さらには自衛官の市民的権利に対する制約根拠にもなりかねない。
さらに、産業や学問の分野においても、自衛隊の活動が優先される可能性が否定できず、国民生活に関わる多方面で、影響を与えるおそれを払拭できない。 -
以上述べた問題点のほか、本自衛隊明記案では、自衛隊が憲法上に明記されるにも関わらず憲法に基づくコントロールに関する規程が存在しないことになり、現行法よりも自衛隊の行動等に対するコントロールが不十分なものになりかねず、立憲主義の観点から問題がある。
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以上のとおり、本自衛隊明記案は、従来の憲法解釈等を変更する可能性を否定できないばかりか、それによって種々の基本的人権の制約を招く懸念を払拭できないものであり、基本的人権の保障を目的とした立憲主義を大きく後退させるおそれがある。
よって、当会は、本自衛隊明記案に反対する。
2023年1月19日
札幌弁護士会
会長 佐藤 昭彦