声明・意見書

月45時間を超える時間外労働に対する一律の是正指導の見直しに抗議し、その撤回を求める会長声明

  1.  政府は、2026(令和8)年7月21日、労働基準監督署(以下「労基署」という。)による時間外労働の月45時間以内への削減を求める一律の指導を、労使の合意にのっとった指導へと速やかに見直す方針を閣議決定した。これは、同年4月15日の自民党日本成長戦略本部の提言を受けたものである。これを踏まえ、厚生労働省は同年8月19日に監督指導の見直しを公表し、同年9月1日から全国の労基署において、上記一律の指導を改め、36協定に定める健康福祉確保措置の実施状況を重点的に確認する取扱いを開始した。指導の見直しは、既に全国的に実施された現実の措置である。
     従来、労基署は、特別条項付き36協定の締結により月45時間を超える時間外労働が可能とされている事業場に対しても、時間外労働を月45時間以内に削減するよう一律に指導してきた。これは、法定の上限規制(月100時間未満等)が過労死ラインと近接していることを踏まえ、法定上限の手前で長時間労働を抑制する実効的な歯止めとして機能してきたものである。このような歯止めの水準でさえ、法定の上限規制が過労死ラインと近接しているため、労働者の生命及び健康を軽視するものとして、立法当時に強く批判されていた。今回の見直しは、時間外・休日労働時間数そのものへの着目をやめ、健康福祉確保措置の実施状況の確認に重点を移すものであり、立法当時に批判されていた水準をさらに緩和する形で、「重大・悪質な事案」等の限定的な場合を除き、月45時間を超える時間外労働の実態そのものを是正させる指導は行われなくなる。

  2.  この見直しは、「働き方改革関連法施行後5年の総点検」において「もっと働きたい」と希望する層が約1割存在するとされたことを根拠とし、「もっと働きたい改革」の名の下に、個々の労働者の意欲に応えるものと位置付けられている。しかし、その実質は、物価高騰下で収入を補うために長時間労働を選ばざるを得ない労働者の実態と、人手不足に悩む経済界の要請に応えるものにほかならない。そもそも2019(平成31)年の働き方改革関連法施行により、時間外労働に「月45時間・年360時間」という原則的上限が罰則付きで法定化されたのは、従来の広範な例外措置が過労死や過労による精神疾患等の温床となってきたことへの深い反省に基づくものである。月45時間を超える時間外労働は、それ自体が労働者の心身に多大な負荷を与えるものであり、極力抑制されるべきである。労基署による従来の指導は、過労死ラインに至る前段階で網をかけ、労働者の健康を守る防波堤として機能してきた。この見直しは、労働者の命と健康を守るという労働基準法の本質的な目的を形骸化させ、長時間労働の常態化と過労死リスクの再燃を招きかねない。

  3.  今回の措置は、労基署の指導の内容を、労働時間の実態是正から健康福祉確保措置の確認へと質的に転換させ、その役割を「残業の削減指導」から「協定整備の勧告」へと後退させるものである。これにより、企業側に「健康福祉確保措置さえ講じていれば長時間労働も容認される」という誤ったシグナルが送られる。しかも、健康福祉確保措置は特別条項付き36協定の締結要件そのものであり、その実施状況の確認に指導の重点を移すことは、法定上限(月100時間未満等)に至るまでの長時間労働を許容することを前提とした運用への転換にほかならない。法定上限は過労死ラインと近接しているのであって、「健康福祉確保措置さえ講じていれば法定上限まで働かせてよい」という運用が看過されるとすれば、労働者の生命及び健康に直結する重大な問題である。

  4.  前記の閣議決定及び厚生労働省の公表は、「労使の合意にのっとった指導」を掲げる。しかし、深刻な人手不足や使用者との非対称的な力関係のもとでは、労働者が自らの意思で「働かない」という選択をすることは極めて困難である。実態を無視した「労使の合意」というレトリックは、労働者への長時間労働の強制を隠蔽する免罪符となり得る。

  5.  労働基準法第1条は、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と定めている。今、政治が果たすべきは、労働時間を延長して労働者の収入を補填させることではなく、短時間の労働であっても健康かつ文化的な生活を営むに足りる適正な賃金水準の確保と、労働時間の短縮を可能にする環境整備への支援である。

  6.  以上のとおり、今回の指導の見直しは、労働基準法の目的を形骸化させ、労働者の健康と生命を脅かすものである。当会は、この見直しが既に本年9月1日から全国で実施に移されている現状に断固として抗議するとともに、政府及び厚生労働省に対し、この措置を直ちに中止・撤回することを求める。

  7.   以上

      2026(令和8)年9月30日
    札幌弁護士会
    会長 佐々木 潤

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