裁量労働制の対象業務の拡大に反対する会長声明
現在、労働政策審議会労働条件分科会において、裁量労働制の対象業務の見直しが議論されている。これは、昨年10月に内閣総理大臣が厚生労働大臣に対し労働時間規制の緩和の検討を指示したことに端を発し、本年2月20日の施政方針演説において内閣総理大臣が「柔軟な働き方」の拡大のために裁量労働制の見直しに向けた検討を進めると表明し、同年4月22日の第4回日本成長戦略会議において、濫用防止措置を前提に制度対象の在り方についての見直しの検討を進めるよう指示したことを受けたものである。同会議労働市場改革分科会が本年5月27日に取りまとめ、同年6月2日に公表された文書には、濫用防止策とセットで裁量労働制の「拡充」(対象業務の範囲を広げることにより制度の適用対象を拡大すること。以下同じ。)の議論を進めるべきとする意見と、「拡充」を行うべきではなく適正運用を徹底すべきとする意見とを両論併記した上で、具体的な検討を夏以降の労働政策審議会に委ねる旨が記載され、同年7月21日に閣議決定された「日本成長戦略」及び「経済財政運営と改革の基本方針2026」は、濫用防止措置を前提に裁量労働制の対象の在り方について見直しの検討を行うことを明記した。これを受けて、同年9月16日の第211回労働条件分科会では、裁量労働制を今後の論点の一つとし、月2~3回程度の頻度で議論を進める旨の案が示されている。もっとも、同分科会においては、対象業務の見直しを前向きに検討すべきとする使用者側の意見と、長時間労働に陥りやすく、裁量や適切な処遇が確保されていない実態がある中での制度の「拡充」には慎重であるべきとする労働者側の意見とは、隔たったままである。
当会は、以下の理由から、上記の各文書において裁量労働制の「拡充」ないし「対象の在り方の見直し」として検討が進められている、裁量労働制の対象業務の拡大に反対する。
第1に、現行の裁量労働制は、既に濫用的な運用と労働者の健康被害の温床となっている。裁量労働制は、実際の労働時間にかかわらず労使協定等で定めた時間を労働したものとみなす制度であり、労働基準法が労働条件の最低基準として強行的に定める労働時間規制による保護を実質的に緩めるものである。ところが、現行制度の下においてすら、みなし労働時間を大幅に超える業務の常態化や、業務の遂行方法等について実質的な裁量が失われているにもかかわらず制度が適用される、いわゆる「名ばかり裁量」の存在が繰り返し指摘されている。厚生労働省が令和3年に公表した裁量労働制実態調査においても、適用労働者の1日の平均労働時間(9時間)は非適用労働者(8時間39分)を上回り、みなし労働時間(平均7時間38分)との乖離が明らかとなっており、週60時間以上働く者や深夜に業務を行う者の割合も適用労働者の方が高い。適用労働者の過労死・過労自殺が労災認定された事例も存在する。このような実態を放置したまま対象業務を拡大することは、長時間労働とそれによる健康被害を更に広い範囲の労働者に及ぼすことにほかならない。
第2に、対象業務の拡大は「多様で柔軟な働き方」を可能にするものとして説明されるが、この説明は制度の実態を正しく捉えていない。労働者が時間配分の裁量を現実に行使できるか否かは、使用者が設定する業務量と納期に左右される。業務量の決定権を持たない労働者にとって、みなし労働時間制は、長時間労働に対する割増賃金という歯止めを失わせるだけの結果となりやすく、上記の実態調査の結果はまさにそのことを示している。そもそも、始業・終業時刻の柔軟化やテレワーク等の柔軟な働き方は、フレックスタイム制等、労働時間規制の枠内でも実現可能であり、労働時間規制の保護を外すことがその前提となるものではない。労働者の健康確保、過重労働による健康被害及び過労死等の防止の観点からすれば、対象業務の拡大を「柔軟な働き方」の名の下に正当化することはできない。
第3に、現在の審議の進め方は、結論ありきとなるおそれが大きい。厚生労働省は本年7月から8月にかけて裁量労働制の実態調査を実施したが、その結果は未だ公表されておらず、その取りまとめと分析はこれからの段階にある。また、この調査は、令和6年施行の省令等改正(本人同意の取得・撤回手続、健康・福祉確保措置等)の定着状況を把握することを主眼とするものであり、対象業務の拡大の当否を判断するに足りるデータを提供するものではない。加えて、平成30年には、裁量労働制に関する厚生労働省の調査データの信頼性が問題視されたことを契機として、働き方改革関連法案から裁量労働制の対象拡大に関する部分が全面的に削除されるに至った経緯もある。このような経験に照らせば、対象業務の拡大は、的確な実態調査の結果検証を経て、公労使三者が対等の立場で意見を交わす三者構成原則によって慎重に検討されるべきである。このような慎重な検討を踏まえずに、内閣総理大臣の指示と閣議決定を背景に審議を加速することは、対象業務の拡大という結論ありきの審議であるとの批判を免れないのであって、許されない。
以上の理由から、当会は、労働基準法の強行法規性を踏まえた実効的な労働者保護と、過重労働による健康被害及び過労死等の防止の観点から、裁量労働制の対象業務の拡大に反対するとともに、労働政策審議会に対し、対象業務の拡大を前提とした審議を行うのではなく、公労使三者構成原則に則り、実態調査の結果を踏まえた上で、現行制度における濫用の防止及び労働者保護の観点からの規制の強化についてこそ検討することを、強く求めるものである。
以上
2026(令和8)年10月8日
札幌弁護士会
会長 佐々木 潤













